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2012年9月

2012年9月14日 (金)

先達に聴いてみよう!第8回 アクシスエボリューション 田中伸一代表

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福岡市東区で研修講師、人材育成コーチング、人事制度コンサルティングでご活躍の魂のコーチング・アクシスエボリューションの田中伸一代表の登場です。田中代表は私よりも一世代若い42歳ですが、お目に掛かるたびにユニークな気づきを運んで来てくださいます。また、辿る道は違うのですが、方向性が不思議と似通っていると感じており、私のメンターの一人と思っております。私の「一歩先」を歩く田中代表、皆様にも参考になると思い、ご登場いただきました。

 

陽の当たる場所を歩き続けた銀行マン時代

 

大分大学を卒業し、福岡銀行に入行、中小企業向け法人融資ビジネスモデルプロジェクトで頭取特別賞受賞、中央委員として銀行の人事制度改革にも携わり、同期トップで課長に昇格・・・。非の打ち所のない見事な経歴です。初めてお目に掛かったときの印象も正にジェントルマンでエリート銀行員、魂のコーチングを標榜されるような方とは思えませんでした。

 

転職も順風満帆、子会社社長就任で訪れた転機

 

 

 入行10年後に、当時も伸び盛りの企業であった新日本製薬に転職。就業規則の整備、社員研修や人事制度改革への取り組む中でコーチングに出会います。その後も、総合管理部長として総務・経理・人事の様々な改革に取り組み、成果をあげ、5年間で、会社の売上も2.6倍、社員数も3.5倍になります。なかなかお目にかかれない成功物語ですが、やはり危機は訪れます。子会社の社長に就任し、目標必達の使命感が裏目に出て、社員から社長退任の連判状が出る事態に。

 

理想の会社の在り方に気づき、起業につながる

 

目標達成を急ぐあまり、部下に対しての配慮が欠けていたことを猛省、目標達成できなくても100%の力を発揮してくれた社員に心からの感謝を伝えることから再始動、「ともに同じ価値観を持ち、お互いを認め、支え、助け合い、みんなが活き活きと目標を持って働ける会社」の理想を掲げ、就任時の40名から120名の体勢へ成長させます。グループ再編を機に、1社でも多くの「理想の会社」作りに貢献したいと独立、起業を決意されます。ピンチの後のチャンスと申しますが「持ってますね」と言いたくなるほど鮮やかです。

 

ダウン症の長男・彰悟君と家族の絆の中で

 

 ダウン症候群は統計上800分の1の確率で発生するそうですが、様々な障害を伴い重篤なものです。先達は、彰悟君を「神に最も近い存在」と仰います。それは障害を乗り越えるという使命を授かり、乗り越えることを当然のこととして真っ直ぐ立ち向かう姿がそう映るのだと思います。先達は、「障害児だからと」あきらめず「この子はできる」と信じることから、「できないと責めるのではなく、能力や可能性を信じることで人は育つ」ことを学ばれたそうです。外柔内剛の人、魂のコーチングの原点、此処に有りです。

 

個性や役割を尊重し笑顔の世界をつくる

 

 先達は、理想の会社作りを超えて、人だけでなく動物や植物などが調和し、それぞれの個性や役割を尊重しながら笑顔の溢れる世界を目指して活動されており、社会起業家、新しい世代の経営者、リーダー像を感じています。益々の活躍をお祈り申しあげます。 NPO法人『地球村』代表の高木善之先生を招いて『未来を変えるリーダー塾』と題しワークショップを主催されます。同封のパンフレットを参照ください。

 

アクシスエボリューション

 

電話092-201-0071 FAX番号092-672-7426

 

http://www.axisevolution.com/

 

チャレンジャー登場 第7回 ドリーミングルーム・ファシリテーター 坂本路子さん

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 アメリカの№1起業コンサルタント・マイケル・E・ガーバーのドリーミング・ルームが遂に日本に上陸しました。日本初のドリーミング・ルームは、何と福岡で開催されました。日本初のファシリテーター、坂本路子さんの登場です。正にチャレンジャーの名にふさわしい半生にフォーカスしたいと思います。

Photo_9 起業家の父、その光と影を体感した青春期

坂本さんの父は、ボーリング場や旅館など手広く事業をされる起業家でした。若く事業が軌道に乗らないうちは借金の催促の電話を幼い坂本さんが居留守を使って撃退したこともあったそうです。バブル期には、様々な事業にチャレンジされ隆盛、坂本さんは大学卒業後も家業を手伝い、猛烈な日々を過ごします。二年の年季?が開け約束だった英国ロンドンに留学されます。バブルの絶頂を味わうと同時に、ご苦労もあったと思いますが、留学経験と英語力というスキルと起業家の内幕という掛け替えのない経験を手にされます。

イメージコンサルタントとして活躍も芽生える疑問符

  帰国後、イメージコンサルタントの道を選ばれます。まだ、日本では一般的ではなかったと思いますが、やはりチャレンジャーらしくフロンティア・スピリット全開です。服装だけでなくスピーチや立ち居振る舞い、ビジネス・コーチングに至るまで、冴えないビジネスパーソンを外見から変える仕事に全力投球されます。 

 ところが、坂本さんの手を離れると徐々に輝きを失い元に戻ってしまうのです。「セルフイメージを上げ、内面も変化する」はずでしたが、何かが足りなかったのです。坂本さの中で、疑問符が徐々に大きくなっていきます。このミッシングリンクは何か?新たなるチャレンジが始まります。

 一冊の本との出会い、そこにはすべてが書いてあった

 

 

 ガーバーの著書「はじめの一歩を踏み出だそう」との出会いが坂本さんの運命を変えます。同書には、起業家が失敗する理由がわかりやすく明確に書かれていました。

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 同書はアメリカだけでなく世界の起業家のバイブルとして、大ベストセラーですが、何かの陰謀かと思うほど日本では浸透していませんでした。坂本さんが凄いのは、「これだ!」と思ったら行動に移せるところ。ガーバーに会うため、米国・サンディエゴへ旅立ちます。

 

起業家精神養成講座、ドリーミング・ルームを日本へ

 

 

 坂本さんは、日本初の公認ファシリテーターとして、福岡でドリーミング・ルームを主催されています。本講座は、いわゆるHowToではなく、受講生が体験を共有しながら、起業家に必須の役割、ドリーム、ビジョン、パーパス、ミッション(起業家の夢、未来図、その目的、行動基準)4つのパートから起業家マインドを体得するものです。受講者は、3ヶ月12回の講座を通じ、同じ価値観を持った同志となっていきます。

 感即動、素直な心と行動力がチャンスを生む

  坂本さんは優れて感覚の人です。言葉というより全身からあふれる想いが伝わってきます。自分だけでなく皆で一緒にみたい夢をお持ちです。益々のご活躍を期待しています。

(ドリーミングルーム第1期・松田修)

 

2012年9月13日 (木)

先達に聴いてみよう!第7回 春日助産院 院長 大牟田智子さん(後編)

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 福岡のベッドタウン・春日市で創業47年、母娘二代にわたる春日助産院院長・大牟田智子さんの後編です。「自然分娩」と「母乳で育てる」をプリンシプルに掲げる同院では、月に十名前後の赤ちゃんが元気に産声を上げています。少子高齢化といわれて久しいですが、その原点は妊娠・出産に始まる母子関係に遡ります。最前線で活動されている先達にお話しを伺いました。

 「スポック博士の育児書」、アメリカ型育児の影響

 戦後、アメリカの占領政策により日本旧来のシステムが否定されて行きます。それは、出産、育児においても同様だったそうです。アメリカの小児科医ベンジャミン・スポックが1946年に著した「赤ちゃんと子供の育児の常識についての本」が育児のバイブルと位置づけられ、アメリカの民主主義の生活スタイルと相まって広まることになります。アメリカの住環境を前提として赤ちゃんの頃から個室を与え、「泣いたらすぐだっこすると依存心の強い甘える悪い子になる」とした自立心を重視する育児法です。反面、親子の接触が少なく、現在では、その育児法に異議を唱える向きも少なくないそうです。

 川の字文化、濃厚な接触が、情動や共感性を育む

  日本の旧来の育児法は、個室のない住宅事情を反映し、夫婦と子供がいわゆる川の字で一緒に寝るスタイルでした。また、お母さんが川で洗濯していると、お父さんが赤ちゃんを懐に抱いている風で、とても濃厚な接触が行われていました。近年の脳科学の研究で、このような濃厚な接触が、脳の扁桃帯を刺激し情動の発達に寄与することが明らかになっているそうです。

  逆に、親子の接触を、ミルクを飲ませる程度の必要最低限とした場合、情動が未発達で共感性が持てない問題を引き起こすとされています。佐賀バスジャック事件の少年や東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の山﨑勤は犯罪として顕在化したケースですが、内向すると鬱病などとして現れることもあるそうです。

  日本の生活スタイルも様変わりですが、子育てにいかに濃厚な接触を取り戻すか、「新・川の字文化」の確立が求められています。

 指一本、社会に掛けて育児ができる環境があれば

  先達は、「母乳を与えることは血液を与えること、授乳期の母親は疲労困憊、通常の仕事はできない。」と指摘されます。育児休暇などの支援制度を最大限利用する「ちゃっかり族」がいる反面、育児中も100%の仕事をしようとする「がんばり族」が大半だそうです。ゼロか百かではなく、体調や家庭の事情に合わせ、仕事を通じ社会との接点を確保しながら育児ができる環境が望まれています。育児休業などの制度や法律の整備だけでなく、日本型の仕事のやり方を変革しなければならない時期が来ていると強く感じました。

 家庭と病院の狭間を埋める!産後の養生所を作る

  先達は、産後の女性は心身ともに疲れ果てており、母になることに対する苦手意識も相まって、どうしたら良いか分からないまま育児を続け、赤ちゃんにもしわ寄せが行く現状を指摘されます。また、育児で困ったことがあると、以前は井戸端会議で解決できたようなことも病院に走る傾向があるそうです。先達が出産を通じ直接かかわることができるのは年に百名余り、もっと多くの母親の幸せな育児のために何かできることは?と自問自答された結果、家庭と病院の隙間を埋める「産後の養生所」の構想にたどり着かれたそうです。この施設では、母親のコミュニティーだけでなく、父親も参加し必要な情報も得られる仕組みにされるそうです。先達の新しい夢を応援して参ります。

 春日助産院 816-0851 福岡県春日市昇町6-102

 TEL 092-581-4069 FAX 092-586-0010

 http://kasuga-jyosanin.jimdo.com/ 

2012年9月12日 (水)

チャレンジャー登場 第8回 『美賢女子』コンサルタント 川平麻稀さん

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faLeure(ファルーレ)主宰の『美賢女子』コンサルタント、川平麻稀さんの登場です。川平さんは、美賢女子=『経済観念がある、しなやかで可愛らしい女子』の養成を目指しセミナーを展開中です。自らの世代を失われた世代と位置づけ、新しい女性、世代の生き方を提唱する川平さんにお話しを伺いました。

ケースワーカーとして5年勤務、経済の重要性を知る

川平さんは、大学で社会福祉士の資格を取得、卒業後、病院の生活相談員として勤務されます。カウンセリングの他、多種多様なケースワークに携わり経験を積むことになります。病気という問題を抱える方々と向き合う中で、その背景に経済的問題が横たわっていることを痛感されます。フリーランスの道に進まれますが美賢女子の萌芽は、この5年間に芽生えたようです。

独立、立ち往生、そして転機を迎える

 カラーリストとして独立されますが、曖昧なビジネス・ビジョンが災いして立ち往生することになります。

「漠然とした不安、何をどうがんばったらいいのかわからない…」

がんばってもカラ回りな日々、不安と焦り…。輝いている身近な友達がうらやましい…。自分に自信が持てない…。等々、起業間もない誰もが落ちるワナですが、川平さんは、世の中の仕組みやお金のこと、ビジネス基礎力が必要不可欠だと気づき、福岡市内にある経済・財務・投資スクールに学び、知識を身につけることで乗り越えていきます。自らもそのスクールの講師を務めるまでになりますが、そこに3・11が起こります。

ミッション降臨、『美賢女子』養成講座を立ち上げ

 川平さんは、東日本大震災を経て、自分や家族、社会との絆の重要性を再認識し、これからの日本復興に女性の力も必要だと痛感し、「経済ってよくわからない・苦手」といった女子の経済知性のボトムアップを目指した、お茶会感覚の超初心者向け経済講座「けいざい☆ハイハイ講座」を始めます。時を同じくして、同世代や後輩より、今日の日本の低成長・競争激化時代における結婚やライフスタイルの構築について、アドバイスを求められることが急増。現状から1歩踏み出せるような講座づくりに取り組み、『美賢女子養成講座』を福岡市平尾で開講することになります。

失われた世代へ‘パートナーと共に稼ぐマインドづくり’を提起

 川平さんは、自分たちの世代をバブル経済の恩恵を受けずデフレ経済を当然として育った世代=失われた世代と位置づけます。しかし、世間一般にいう暗さは微塵もありません。好景気、右肩上がりを前提とする親世代が夫だけが働く専業主婦モデルとすると、新世代はパートナーと共に稼ぐモデルとします。世帯年収600万としますと、前者では夫500万+妻100万、後者では二人で600万、しかもシェアはそのときの事情で変わるというものです。固定的な責任分担ではなく、しなやかな共生モデルとでもいうのでしょうか。
 

 男女雇用機会均等法が施行されて25年余り、それを当然と思う世代が新しいライフスタイルを提起しています。川平さんの在り方は、新しい世代の台頭を告げていると感じました。『美賢女子』養成講座の詳細はこちらを参照ください。

http://www.faleure.jp/course/

先達に聴いてみよう!第6回 春日助産院 院長 大牟田智子さん(前編)

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 福岡のベッドタウン・春日市で創業47年、母娘二代にわたる春日助産院院長・大牟田智子さんの登場です。「自然分娩」と「母乳で育てる」をプリンシプルに掲げる同院では、月に十名前後の赤ちゃんが元気に産声を上げています。少子高齢化といわれて久しいですが、その原点は妊娠・出産に始まる母子関係に遡ります。最前線で活動されている先達にお話しを伺いました。

 高三夏休みの急転、助産師を継ぐ決意を固める

 先代であるお母さんが開業された1965年は、既に病院分娩が病院外分娩を上回り、将来性の観点からご親戚の方も反対されたそうです。先達も継ぐつもりはなく、栄養士を目指して付属の高校に進学されました。 

 ところが、高校三年生の夏休みに転機が訪れます。看護師の方がご家庭の事情で長期に休暇をとられたため、先達はにわか助産助手として先代と仕事を共にされます。そのときの体験は「母(助産師)と母(生む人)の信頼関係、もう恐れ入りました、という感じ。」だったそうです。高三2学期での進路変更、しかも文系から理系ですから先生も驚かれたそうです。一浪の後、看護大学へ進学、助産師を目指されます。

 北里大学に就職、最先端分娩医療を体感

  卒業後、北里大学に就職されます。当時、同大学は「計画無痛分娩」の最先端医療機関でした。最新設備で医師の管理下の分娩は、日曜日夕方の入院、オリエンテーション②前処置→③月曜朝の点滴→④午前中の出産→⑤金曜日退院と変わらぬ手順で進み、まるで工場のベルトコンベアーのようだったそうです。

  帝王切開や未熟児医療など母子の生命を守る医療の凄さ、重要性を感じる反面、施術により女性の身体がコテンパンにされることに暗い陰を感じたそうです。本来、人間も哺乳類、女性は自然に分娩し授乳する能力があるのに、なぜ医療技術や人工栄養に依存することになったのか?先達の中に萌芽が芽生えます。

 帰郷、「世にも珍しいマザークラス」の立ち上げ

  先達は、先代の助産院で働くため帰郷されますが、これを契機に母娘の新たなチャレンジが始まります。若手助産師が集まり、勉強会をスタート。深夜のファミレスで議論を戦わせる日々は、「世にも珍しいマザークラス」として結実します。医療関係者からの批判を受けながらも水中分娩やフリースタイルなど様々な新しい試みに取り組まれたそうです。

 お産の記憶は母子関係に多大な影響を与える

  先達は、「本来、女性は経済などの制約がなければ子供を産みたがるもの。ところが、近頃では母性がもうとうない人の存在も認めざるを得ない。」と仰います。これは母親の世代が幸せなお産をしておらず、お産の経験が、痛い・怖い・孤独感などネガティブな記憶となっているため、母性が子の世代に柔らかく受け継がれなかったからだと指摘されます。現在のお産世代(30歳前後~40歳前後)が生まれた1970年代~80年代前半までは、医療管理型へお産の風景が大きく変わった時季であったことと符合しているそうです。

 逆に彼女らの祖母の世代(90歳代前後)は、お産は楽しい記憶としてあるそうです。日頃の仕事が厳しく、お産で休めるだけでなく、栄養のあるものをいっぱい食べられて、おっぱいを赤ちゃんにいっぱい飲ませられて楽しかったとなるそうです。次代の子供たちに母性が正しく引き継がれるかは、現在のママたちがいかに幸せなお産経験を積むかにかっているようです。

 両極の体験が中庸を生み、幸せなお産に繋がる

  先代の助産院と北里大学での先進医療、この両極を知ることが先達の在り方に大きく寄与していると思います。哲学でいうところの中庸の境地といえるでしょう。示唆に富むお話しが多く、まだまだお伝えしたいことがございます。次号は引き続き後編としたいと存じます。拙筆で恐縮ですが、ご期待ください!

先達に聴いてみよう!第5回 ロゴブランドクリエイター 根本和幸さん

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小さな会社のロゴマークデザイン実績数福岡ナンバーワン、ロゴブランドクリエイーター、DesignGrac代表根本和幸さんの登場です。根本さん(以下、「同氏」)は37歳ですが、中小企業のロゴマークに特化した戦略で築き上げた実績は『先達』として十分なものです。

 ブランドとは何か?を潜在意識に叩き込んだ少年期

  同氏は、北九州市小倉南区の出身、なかなかやんちゃな少年期を過ごされたそうです。お父上がTOTOに勤務されており、初めての友達のお宅に伺うと、先ずは衛生陶器のロゴマークを確認したそうです。同社は、ウォシュレットをはじめとする物作りの文化や愛社精神で有名なブランド企業です。お父上のTOTOブランドに対するコミットメントを肌で感じ、現在に繋がるセンスを涵養されたのでしょう。

 デザイン学部へ進学、広告デザイナーの道へ

  クラブDJや波乗りとアンダーグラウンドの世界にのめり込んだ大学生活。自らが企画したクラブイベントをきっかけにフライヤーなどのデザインやイベントに興味を持つようになり、卒業後は広告会社へ入社する。しかし、憧れていたクリエイティブな仕事とは違う現実に、もっとクリエイティブな仕事がしたいと思い、デザイン製作会社へ転職。パッケージデザインの仕事を5年間経験。徹夜の多い業界で、せっせと下積みの経験を培っていく。経験を積めば積むほど、デザイン業界の仕組みに疑問を感じるようになり、デザイナーは印刷会社の下請けという立場に嫌気がさし、自分への大きな勘違いもあり無謀にも独立、平成15年にデザイングレイスを設立することに。

 開業後の潜水生活、反転と同時に掴んだものは?

 直接お客様と仕事がしたいと思っていたが、お客様を見つける事もできず結局はお金が底をつき、再びの印刷会社から下請けの仕事をもらうという情けない日々。仕事量もデザイン代も下がる一方で、最終的には、土曜日曜はアルバイトで食いつなぐという最低の生活。しかし、危機が好機になる瞬間がやって来る。アルバイト先の専務から自社のロゴマーク制作を依頼されます。初めて作ったロゴデザインを見せた所、「お前凄いよ!」と、デザイナー歴10年を迎え、渇望していた客様からの感謝の言葉、これが初めての「魂のごちそう」だったそうです。その日の帰り道、「そう言えば中小企業は大手の会社に比べてロゴデザインが圧倒的にダサイ所が多い。この中小企業のロゴデザインならば、これまで経験してきたパッケージデザインの仕事が活かされて、デザイナーとして、もっと多くの人の役に立つのではないか」と気づきます。

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ブランドマーケティング実践会で元気企業を発掘

 

 

 セミナーコンテスト優勝の実績を引っ提げ、ブランドマーケティング実践会を主催、今年で5年目を迎えられます。実践会を含め、過去4年間で140社以上のロゴブランド戦略を指導、多数の起業家・元気企業を輩出し、最も効率的で即効性のあるブランド構築方法を確立されました。「小さな会社を半年で売上2倍にするロゴマーク戦略」を標榜し現在に至ります。

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「世界のタイヤを日本へ」のキャッチコピーで一日1万本のタイヤを売る通販サイトとして急成長中の株式会社オートウェイのロゴマークも同氏のデザインによるものです。「半年で売上を2倍にする」を具現化した正に好例といえるでしょう。

 

皆様の会社でも、ロゴマークの作成プロセスを通じマーケティング戦略を見直されませんか?

先達に聴いてみよう!第4回 株式会社エムビーエス 山本貴士社長

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 のぼり・看板等屋外広告のエンドライン株式会社の山本啓一社長が主催されていますFukuoka成長塾に参加させていただきました。第14回を数えるそうですが、「継続は力なり」、大変、素晴らしいと思います。

 ご縁をいただき、感謝しております。

 今回の講師は、株式会社エムビーエスの山本貴士社長です。同社は外壁リフォームの卓越した技術力を武器に創業わずか8年目の20054月、弱冠33歳で福岡証券取引所Q-Boardに株式上場を果たされました。中国地区ニュービジネス協議会会長賞、大前研一氏主催のビジネスジャパンオープン審査特別賞など、受賞歴も多数にのぼる山口県のベンチャーの雄です。

  <裕福な暮らしが一転、一家離散の危機>

 家業の倒産により、一家離散。強硬な債権回収が始まる。裕福な家庭事情は暗転し、いきなりどん底生活へ突入。出生地の山口から関東へ転居されます。

 山本社長は、「貧乏だから」と馬鹿にされないよう勉強にスポーツに人一倍努力されました。そうすることで、世間の目から妹さんを守りたかったそうです。

 指導者に恵まれ、野球の名門校に進み、エースで4番のスター選手でしたが、経済上の理由から高校を中退、トラックの運転助手になり、家計を支えます。

 <テレビの甲子園中継、再び燃え上がる闘志>

 18歳の夏、休日にドライブに出掛けられます。ドライブインで目に入った甲子園のテレビ中継、同級生7名が甲子園に出場し、その活躍を映し出していたそうです。バイトばかりで先の見えない自分と、ひとつの夢を叶えたライバルとの差に愕然、「いったい俺は何をやってるんだ」と絶句、あまりの悔しさに、涙が溢れてきたそうです。それを契機に、社長を目指していた幼き頃の夢を思い出し、熱い心に再び火を灯すことになります。

 <再び宇部市へ、ピケ足場の親方になり反転攻勢>

  山本社長曰く、運良く親友の父の紹介で、大手会社ディーラー・ヤナセに就職、品質管理部でビジネスの基本を学ぶことになります。(山本社長のお話には、「運良く」という言葉がしばしば登場しますが、運を引き寄せる力が半端ではないのでしょう。)これまた、運良くヤングリーダーに任命され通常の数倍のスピードで業務に精通していきます。1年半で退職、退職金50万円を握りしめて、故郷山口県宇部市の地を踏みます。故郷といっても何の伝手もなく、単身での再出発、大家さんが見せてくれた求人広告が縁で、ピケ足場の親方になり、品質管理のノウハウを活かし4ヵ月目には月100万円の利益を上げる迄になられます。

 <二番手は旭化成、外壁リフォームのダントツ企業>

 ピケ足場の現場で耳にしたお客様の苦情をヒントに外壁リフォームを研究、特殊コーティング剤を開発されます。現在では、高速道路の橋桁など巨大構造物にも応用できるダントツ一番の技術を保有し、業界二番手の旭化成に大きく水を空けているそうです。二番手が旭化成ですからスケールがでかいです。

 <自己成就予言、5年後のパーティー会場を予約>

 2000年の誕生日、事業計画を練るため宿泊された宇部全日空ホテル、翌日のチェックアウト時に「5年後の今日、上場記念パーティーをするので、一番広い宴会場を押さえておいて」と予約、その後も毎年誕生日に宿泊、予約の確認を繰り返し、何と予約通り福岡証券取引所Q-Boardに株式上場を果たしパーティーを開催されました。予約されたときはさすがに確信まではなかったと思いますが、「逆立ちしてもできないないなら、逆立ちしてできる方法を実現すればいいんだ」と徹底してイメージし具現化する力が叶えた自己成就予言、思考は現実化する正に実例だと思いました。

 益々のご活躍をお祈りしております。