チャレンジャー登場!第12回 学校法人国際学園所属 ハンドサイクリスト 永野明さん
永野明さんは、1975年生まれの37歳、ハンドサイクリストとして北海道・宗谷岬~鹿児島・佐多岬(約3500KM)完走などの豊富な実績があり、2016年にブラジル・リオデジャネイロで行われる「リオデジャネイロパラリンピック」に「ハンドサイクル」(自転車競技)で日本人として初出場を狙っています。永野さんの挑戦の軌跡と今後の展開を取材しました。
【トッパ・アスリートとして】
永野さんは、1歳半のとき脳性麻痺と診断され、下半身にハンディキャップがあります。しかし、そのハンディキャップをものともせず、プロレス団体を主催するなどして積極的にスポーツに取り組んでこられました。現在では、「全ての壁をとっぱらい自分の壁さえも突破する」という信念からトッパ(突破)アスリートを標榜し活動されています。
【ハンドサイクルとの出会い】
19歳で上京した永野さんは、29歳のときにハンドサイクルに出会います。24時間テレビで40代の男性がハンドサイクル(手こぎ自転車)に乗って100㎞を走破する姿を目にし、「20代の僕ならもっと出来るはず」と思ったことがきっかけだそうです。思っても行動に移せない人が多いと思いますが、そこが永野さんの異彩を放つところ、ある企画を胸に準備を始めることになります。
【TE-DEマラソン 東京~福岡間1,200㎞に挑戦】
永野さんはハンドサイクルとの出会いから三年の準備を経て、TE-DE(手で)マラソン2008と称し、東京~福岡間1,200㎞に挑戦し、見事10日間で完走します。素晴らしいと思うのは、挑戦に先立つ2年前、この企画を発表し記者会見までして退路を断ったそうです。決断と継続はビジネス成功の要素とも言われますが、正に両方揃っての快挙でした。
【訪れた転機、世界に挑戦、パラリンピックを目指す】
永野さんは、2010年に九州一周1000KM完走、2011年に日本縦断3500KM完走と立て続けに結果を出していきます。この間の永野さんは「自分に挑戦する、自分に勝つ」という強い思いが原動力になっていたそうですが、達成感と共に転機を迎えます。
「国内にはもう走るところがない。海外でも走るか?」
永野さんは、気の置けない仲間たちに向かってそう問いかけたそうです。
「今までは自分との戦い、これからは他人と競うことも考えてみたら?」
ある仲間からの助言ですが、永野さんの心の中で点と線が一つになりハンドサイクルレースでの世界挑戦に結びついて行ったそうです。ハンドサイクルは2008年からパラリンピックの種目となったそうですが、ご縁というのは偶然でなくやはり必然なんだと感じます。
リオデジャネイロパラリンピックまで1200日を切りました。大きな夢に向かう永野さんの益々の精進と活躍を期待しております。